映画好きの原点と僕の過去。
僕が根っからの映画好きな理由。
そして、僕の過去を少しお話ししようと思います。
かなりディープなお話ですが、僕の記憶が薄れる前に、僕がこの世に産声を上げ、産まれた意味や生きてきたという記録として残すことにします。
昔から両親ではなく、祖父母との生活が多かった。
実家は著しく貧乏で、祖父母は裕福な家庭。
親父は働きに出てほとんど家にいない、商売をしてた祖父母の元で学校や幼稚園が休みの日はそこで生活してきた。実の息子のように育ててくれた祖父母だが、大の映画好き。
世代の人ならわかると思いますが、ゴールデン洋画劇場をご存知でしょうか。
80年代から90年代にかけて、ギリギリ平成初期もだが今のようなファミリー向け映画ではなく、B級映画やアクション映画、もっと古い時代はスラッシャー映画などを普通に放映していたんです。
VHSがたくさんあって、それに当時のテレビ放映していたものが残っていたんですよね。
今じゃ絶対に考えられませんが、「食人族」や「カニバル」も放映されてたんです。1番記憶に残ってるのは「溶解人間」という現在だとスティングレイ社からBlu-rayがリリースされてるかなりマニアックな映画です。
当時の録画VHSで何度も鑑賞した思い出があります。
「13日の金曜日」シリーズも一部作品はソフト版に収録されていない日本語吹き替え版もとてもレアです。
幼少期はアクション映画からカンフー映画、ホラー映画を観るのが日課です。
今でも昔からジェット・リーことリー・リンチェイは僕のヒーローです。
金曜日には祖父とTSUTAYAへ行き、観たい映画をそれぞれ5本ずつの計10本。日曜日まで余す時間なく全て見終わるように映画を観てきました。
小学生卒業までその生活をしていたら、気づけば映画に詳しくなって、お年玉でセル版を購入するように。
今収集家なのは、そこからですね。
凄い思い出深いです。良い映画ばかりの週もあれば、ハズレが多すぎてイマイチだなと感想を言い合いながら次の映画を観る…。
この経験が、今に繋がっていると想ってます。
今でも祖父母が大好きです。家族でも血が繋がっていても、1人の人間である以上、性格も違えば、波長が合わなくなったり揉めたり歪みあったりすることはあります。
どんな形であれど、祖父母だけは僕を1番に気にかけてくれてました。今でもそうです。僕にとっての祖父母であり、父と母。
以前少しだけ、イベントでお話した事がありますが、僕は両親から言論統制、金銭搾取、体罰などいい環境とは言えない環境で育ちました。
だけど、不幸せだった訳ではありません。それでも当時は家族が大好きでした。
実家はお金がなかったので、僕のお年玉や貯金は全部持ってかれました。返してと言えば「お前育てるのにいくら掛かってると思ってるんだ。」と言われるだけ。
親父は"俺に合わせて生活しろ"という感覚、お袋は自分と親父が最優先事項という考え方。
昔からそうですが、夫婦揃って自分の意思を全く曲げない頑固な考え方で、反論しても揉めるだけ、決めつけで話を解決する人たちなので言葉を発さないことが1番の解決方法でした。お袋は親父の言う事が正しいというタイプなので何かあれば子が悪いの一点張り。
説教の時は、自分の持論ばかり数時間に渡って聞かされる生活でした。
今思えば、そんなに自分を大きく見せる割には随分と貧しい環境だったなと思います。
後に僕が大人になり、なぜ貧しかったかとその理由を知って腑に落ちましたけどね。誤魔化し続けてきたのだろうけど、全てばれてます。
勿論、悪い部分ばかりではなく、良い部分もたくさんありました。貧しかったし、確かに普通ではなかったが家族愛や絆はあったと思います。そう思いたい。
成人する前、正確な年齢や日時はもう覚えてませんが、お付き合いしてる女性がいました。その女性とは時より僕の実家に帰ってご飯を食べるくらいの中で、ある日みんなでご飯を食べる約束をしました。
その日、僕は仕事関係者との食事の約束もあったのでお付き合いしていた女性に先に実家でご飯食べててくれと行かせました。
用を済ませて、遅れて実家に行くとその女性は泣いており、親父は不機嫌な顔、お袋はずっと僕を睨みお通夜のような空気感でした。
どうやら、両親が僕に関する人としてダメなお話(有る事無い事)を当時お付き合いしていた彼女に話をしたみたいで、偶然その時に重なってしまったのですが、水道代?ガス代?かよく覚えてませんが、単にお金を下ろし忘れてしまっただけです。計算し忘れで代わりに建て替えてもらっていたタイミングでした。というか、同棲していたので、それと言って問題では無いと言うか、なんならそれを返すつもりで既に下ろしてましたからね。
その当時お付き合いしていた女性もかなり難ありで、思い込みが非常に激しい方でした。言葉を間違えると単純なお話が深刻なお話にすぐ変わります。
皆の勘違いから始まり、勝手な思い込みで、彼女は"そんなだからお金をせびったんだ。"という解釈。
その事実を両親に話して、"アイツ自分の女に金せびってヒモみたいなことしてるんだ。"という解釈。
一時的に建て替えてもらうってのもダメだったなと反省。
先ほども綴った通り、一度そのモードに入ると面倒で、反論しても意味がありません。絶対に曲げないので。幼少期から続いてきたこの一連のやり取りにもうウンザリした僕は、反論もせず無言で帰宅。
すると玄関先まで追いかけてきて殴り合いです。
僕は喧嘩をするつもりもなければ、揉めるつもりもない。
人の話をろくに聞きもせずにまた悪人扱い。
そりゃ応戦せざるを得ないですよね。嘘か本当かそんな事興味もないですが、一戦交えた拍子に指の腱が切れたらしく、親父は料理職人だったのでお袋から"お前が悪い!仕事できなくなって生活できなくなったら責任取れるのか?!"という言葉は今でも覚えてます。
彼らには伝えてませんが、僕は左頭を5針、上唇がパックリと避け、肋骨が一本ヒビ入りました。
音楽家です。人前に出ます。僕こそ仕事できず、私生活にも影響が出ました。
それ以降、僕は両親との仲を完全に遮断しました。
絶縁です。
もはや彼らには関心なんてしてませんが、これまでしてきたこと全てを謝ってもらうまで許すつもりはありません。
類は友を呼ぶ。その当時の彼女も変わり者すぎて僕の手には負えませんでした。その数ヶ月後にはお別れさせて頂きましたが。別れた最後も彼女はなぜか両親とやり取りし、僕がまた悪人。
昔から全て僕が悪いと言われ続ける過去でした。
15歳と若くして自立してきました。
親がいないと大変なんて話をたまに聞きますが、僕が保証します。全然そんなことないです。
僕は学生生活が短かったです。高校中退で、事実上の中卒。
正確には自分の意思で中退したのではく、せざるを得ない環境だったっていうことだけお話しておきます。(学費と◯◯◯)
学生時代は良い思い出がありません。正直苦痛でした。音楽や美術は万能でしたが、それ以外はダメ。
というよりも興味が無いことに関して全く頭に入らないタイプです。だから当時の記憶もかなり薄い。
小学5~6年生の頃のおばさん教師がえこひいきが凄い人で、学がなかった僕は常にイジメの対象。
人前で頭が悪いと晒しあげられ、何か問題があれば頭の悪い僕が全て悪い!で終わります。
なので、同窓会はお断りしてます。あのおばさんと会う意味が全くないです。僕の人生には不必要。
学が無くても、困った事ありません。むしろ、そのおばさんよりも有利な地位、収入だと胸を張れます。
その記憶が強いあまり、同級生の事も正直あまり覚えてないです。笑
そんな生活の中、唯一の心の拠り所は映画と音楽と、祖父母でした。
今ではもう大人です。そんなしょうもない人たちのこと考えて生きても時間の無駄ですし、関わるなんてもってのほか。
もっと有意義な時間を過ごさせてもらってますので、この過去に関して今は何も思ってません。
むしろこの経験のおかげで、僕なりに人に対して優しくできるのかなと思ってます。
反面教師ってやつです。
血は繋がってないが、家族同然と思える仲間たちもいます。
僕は幸せ者です。
今では祖父はデジタル配信とは無縁なので、いつも円盤を貸し出ししてます。
唯一の楽しみと言っているので、祖父が元気なうちは、できる限りの祖父母孝行をしてあげるつもりです。
少し前に、ロバート・デニーロとアル・パチーノの傑作「ヒート」のリマスター版を2人で鑑賞。
昔の吹き替えで再鑑賞した。思い出。
Super,
lenely